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C、CPP

WindowsのEclipseはどう使うか?忘れてます

 上の図で、左側のペインCMulSrcProjは、複数のソースファイルがありますが、お互いは無関係です。なので、1個をコンパイル実行をしてほしい。ですが、どうすれば良いの?下の図はVSCodeですが、お互いが無関係に実行ファイルが作られています。そのようにしたいのです。

 その下のCPPTestProjectはsrcホルダが有って、その下にソースファイルがあります。そのようにしてソースファイルを作ると、お互いが関連性を持った状態になります。なので例えば、同じ関数名は使えません。1個の実行ファイルを作る時はそれで良いのですけど。

 

Ecslipseからでも、ターミナルは起動できました。

 VS2019だとソースファイルがある時のプロジェクトの作り方と、Eclipseでのソースファイルがある場合のプロジェクトの作り方が違うようです。

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Linux

Ubuntu20.04にVSCodeをインストールしてますが…

 VSCodeでCまたはC++のコンパイル及びデバッグしようとすると、3個のjsonファイルをいじらないと駄目みたいです。作ってはくれますが、そのままではエラーになって駄目です。ちょっと解決しそうにもないので、Eclipseにもう一度登場してもらうことに。しかし例の通りでsqrtが使えません。cametan_42さんに教えてもらったとおり、gccオプションで-lmを指定できれば良さそうですが、なかなか探せません。行き着いたのが上の画面です。

上の図の通り、sqrtが使えました。

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Linux

G3にUbuntu20.04インストールしてますが…、gccで手こずってます。追記あり

-Iオプションをいろいろ試してみました。指定方法がエラーかもしれないので、でもエラーメッセージみたいなのは出ませんね。自分としては、最初に入力してるものと、最後のものが正しいように感じます。これでも駄目なので、そもそも/usr/includeで無いのかもと思いたくなりますが、ソース部分を見てください。sqrt(100.0)と書くと、エラーならず処理してくれます。

 ということは、-Iの書き方でもない。ターミナルを見ると、(.text+0x15):undefined reference to ‘sqrt’とあります。これの意味するところが問題視されてると思いますが、分かりません。Windowsでは問題視されてないことがあるようです。

gcc –versionで見ると、NO warrantyとあるので、「保証はない」とあります。でも、これくらいなら動いて当然と思います。

cametan_42さん、有難う御座いました。オプションの指定が間違ってました。-Iでなくて-lmだったんですね。Iとlは間違いやすいので、フォントにもよりますが、注意でした。(笑)

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読書

読書嫌いの読書履歴、「一人称単数」チャーリー・パーカー…とウィズ・ザ・ビートルズ読みました

 自分としては、ウィズ・ザ・ビートルズの方が良かったと思います。昔付き合った女性のサヨコが何故自殺しないといけなかったのか?子供二人を置いて。冒頭でビートルズのレコードを抱えた美しい少女が出てきますが、その娘は、サヨコではないですよね。後にも先にも、一度っきりしか逢ってないはずです。印象的な場面は、サヨコの家に迎えに行く場面です。主人公の約束の勘違いか?または、サヨコの約束の忘れか?どうも後者みたいに書かれてます。

 そこでサヨコの兄と出会います。サヨコは居ないので、来るまで上がって待つように言われて、上がります。そこで彼が、一時的に記憶が飛んでしまう病気らしいことを知ります。サヨコはその事に触れなかったので、知りませんでした。読むものがなかったので、勉強道具の国語の副読本を読んでいると、サヨコの兄が、読んでくれと言います。読み終わると、主人公が朗読が上手と褒められます。

 昼過ぎてもサヨコが帰ってこないので、主人公は帰ります。サヨコが帰ってから、連絡が入ります。約束は来週だったと。それから暫くして、主人公は東京の大学へ進み、最後にデートしたとき、主人公は、新しく好きな人ができたことを伝えます。それを伝えたら、六甲の山の上に置き去りにされ、ロープウェイで帰ります。サヨコの父親の車で、サヨコの運転でデートでした。

 場面は大きく変わって、時代も変わります。15年位は経ってるかも?偶然に、サヨコの兄と出会います。彼は、記憶が飛んでしまうことが無くなって、父親の会社を継いでいること、サヨコが自殺したこと、伝えます。彼は人の顔を記憶することが、得意で一度逢ったら忘れないようです。

 作者は書いてます。

「設問・二度にわたる二人の出会いと会話は、彼らの人生のどのような要素を象徴的に示唆していたのでしょう?」

答えます。生き抜く以外の問題は、全て些細なこと。生き抜くことが全てではないか?だ、と思います。

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Linux

G3にUbuntu20.04をインストールしてますが…

 上の図で、functionは正しく動いてます。下では何故か、sqrtが機能しません。math.hがincludeされてないように見えますが、そうでもないようです。

functionでsqrt(100)のように数値を書けば、OKですが、sqrt(x)のように書くと、sqrtが視界から消えてしまうようです。何故ですかね?見当がつきません。VSCodeが正しく動いてませんが、ターミナルではOKみたいなのでそれでやってみてます。VSCodeを全く使わなくても同じですね。単にTerminalからgccを使っても。Eclipseでも同じでした。

 ブログは正常に動いているようです。これを書いているのが、UbuntuのFirefoxです。Cromeは無いようですね。

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テレビ

朝ドラ、「カムカムエブリバディ」を見てて…

 ドラマの内容はともかく、トミー(早乙女太一)の運転している車がカッコよすぎ。スマホで調べてみたら、カルマンギアとか言う、ドイツ車でした。オープンカーですね。少し前ですが、「ドライブ・マイ・カー」を読んだとき、サーブ900がオープンカーだと思ったんですが、映画の紹介を見たら、違うように見えましたが、勘違いですか?映画では、サンルーフを使ってたようです。

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読書

読書嫌いの読書履歴、「一人称単数」石まくらに、クリーム、読みました

 

(一関図書館の蔵書です。ただで借りられるのは、これ以上のことはありません。単行本は、比較的新しい本です。古い本は、文庫本が多少、残念ですが)

 両方とも短いです。「クリーム」のほうが自分には、しっくり来た感じがします。理由の一つが、読んだ本のかなり多く(あるはすべて)、女性と一夜をともにしていましたが、クリームでは違いました。その代わり、理解不能の定義が出てきます。「複数の中心を持つ、外周のない円」というものです。自分の知っている幾何学的知識では、ありえない、頭に描けない図形です。なので、なにかに例えていると理解するしかないですね。

 複数の中心を持つ、とはどういうことか?自分的な解釈では、多くの人がいる、その人なりの価値観ではないか?外周を持たない円とは、なにか?多くの人がいる中で、その人なりの幸福感ではないか?もしかしたら(自分の円)、子孫の継続かも。多くの生物は、一年で生命が終わるものもいます。例えば、昆虫類など。鮭などは、3年から4年で生まれ故郷の川に帰ってきますが、自らの命に変えて子孫を残します。その他、人間以外の生物が、生き残る以外の活動をしているようにも思えません。本の中で作者(不思議な老人)は言います。「クレム・ド・ラ・クレム」フランス語で、人生の中で、いちばん重要なエッセンス、それ以外はどうでもいいことと。

 言い訳で言えば、自分には3人の子供がいて、今、5人の孫がいます。昨年の暮に、次男に、女の子ができました。なので5人です。それ以外の、自分の健康が少し悪くて、仕事ができないとか、雪かきや春からの草刈りの心配、お金があまりないとか、そんなことはどうでもいいこと。とこじつけてみました。

 「石まくらに」の方は、主人公は19歳、彼女は4歳か5歳上、彼女がアルバイト先を辞めると言うので、簡単な送別会をします。帰りの電車が一緒で、彼女がいきなり別れ際に、今晩泊めてくれない、と言います。一夜をともにして、その彼女が短歌を作っていることを知ります。別れ際に、主人公は、住所と名前を伝えます。主人公は、その女性が自作の本を送ってくるとも思ってなかったのですが、一週間後に送られてきます。42首ほどの短歌が書かれてました。主人公は、そのうちの8首ほどが気に入ったようです。最後に書かれているのが、下です。

 たち切るも/ たち切られるも/ 石のまくら

 うなじつければ/ ほら、塵となる

作者は何を言いたいのですかね?人間は生きているのでいつかは死にます。その間に作った、例えば、彼女の作った短歌、活字になってます。本人が忘れていても、読んだ人の記憶に残る、ことはある得る。ということですか?

 

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Linux

UEFI弄ってみましたが、やってしまった~、です。

Dosparaから中古機を購入しましたが、サポートは無しです。画面ではDelキーでUEFIの設定に入れるとありますが、出来ません。

ネットで調べると、スタートメニューの設定から入るようです。

回復を選択。

今すぐ、再起動を選択。

トラブルシューティングを選択。

UEFIファームウェアの設定。

再起動。

Boot良いのかなあ?

#boot option#1が、最初の起動でしょう。

DVDを最初に見に行かないと、DVDからインストール出来ないはず。

 

 

変更を有効にします。

しかし、DVDが入ってなくても、次の#2に行きません。

これは何じゃ?

 元の状態に戻ったように見えますが、Windows10から作ったDVDからインストールできるだろうと思ったんですが、違いました。ディスクエリアが大きいとこへ、Installできるかと思ったんですが、出来ません。フォーマットしないからか?ここが間違いでした。Windowsが消えてしまいました。どうやらフォーマットの形式が違うというメッセージだったようです。

 ここで顔面蒼白です。

 同しようもないので、Ubuntuをインストールしたら正常に動きます。たぶんWindowsのファイルとは違う形式でフォーマットしました。

 なんとなく、動いてはいますが、VS Codeも有ったので入れてみてますが、同じような問題に遭ってます。ファイルの場所がわからないようなメッセージが出てます。ターミナルからはコンパイルできてます。

 こんなになってしまいましたが、Windows10へ戻す方法はありますかね?サポートもないし、どうすれば良いのか?Ubuntuで使うしか方法はないのでしょうか?

 よくわからないUEFIを弄ったのが間違いでした。

 

 

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読書

読書嫌いの読書履歴、「女のいない男たち」最後の、女のいない男たち、を読みました。

 物語は、いきなり夜中に電話で、昔付き合った女性の夫(たぶん)から、その女性が自殺したという知らせが入るところから始まります。その女性を仮にエム(M)と呼んでます。

 しかし、本をいくら注意深く、2度読んでも、その自殺した理由、たぶん夫が電話をしてきた理由、はわかりません。Mの夫が「女のいない男たち」になったこと。主人公は、(名前不明)奥さんがいるので、「女のいない男たち」では、ないでしょう。

 一つだけはっきりしているのは、状況がこんなですので、「たぶん」を使いすぎていると、主人公(作者)は言います。なんか自分も、曖昧にして書くことが多いとは自覚してます。作者の場合は意図したものだと思いますが、自分の場合は自信がないだけ。

 この本を読み終わって感じるのは、冒頭に書いてるように、主人公は、わからない状況に置かれてしまいます。読んでいる方も、ほぼ主人公の目線ですので、同じ立場に置かれます。村上作品では、両義性とかメタファー(よく分かってませんが)が、理解の手助けとなるかもしれません。

 例えば、Mは「エレベータ音楽」(そんな言葉が有るのか?エレベータで流れているような音楽、自分たちの世代では、イージーリスニングと言ってました)を、よく聞くが、主人公はジャズぽい曲を聞きます。Mとは中学生の時に、消しゴムを半分分けてくれたことが、片思いのきっかけとなっているようです。何年かして、大人の関係で2年ほど付き合うようですが、お互い中学生の時と違います。本では、水夫となってますが(たぶん、一般的に男性)、魅力的で美しい女性には、群がる水夫も多いのでしょう。分かれてしまいます。

 それから、全くの音沙汰無しで、冒頭の電話です。主人公の身の回りでは、3人目の自殺者だったようです。「女のいない男たち」は、やはり寂しいものとして描かれてます。そうならないように努力するしかないですね。

 Mは「夏の日の恋」が好きだったようです。自分も好きでした。

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読書

読書嫌いの読書履歴、「女のいない男たち」木野、読み終わりました。

 主な登場人物は、木野と神田(カンダでなく、カミタ)。その他に、木野の奥さん、位か?物語は、木野が出張で出掛けていて、予定より一日早く帰ってきて、妻が会社の同僚と浮気の現場を発見するところから始まる。木野は、翌日には会社を辞めて、妻とも離婚をすすめる。

 退職金を使って、伯母が体調を崩して引っ越しするので、自宅兼店を譲り受け、バーに改造する。広告も出さないので、始めはお客も来なかったが、徐々に来るようになった。神田はそこのお客さん。神田は伯母が、様子を見てもらうことを頼んだ伯母の知人だった。ある時、店のお客(ヤクザっぽい二人)が大きな声で、口論を始める。木野は、他のお客(神田)に迷惑をかけるので、静かにしてくれないかと注意する。木野とお客二人の闘いに発展しそうになる。神田は、伯母が用心棒みたいに使っていたのかもしれない。その場は、神田が丸めたようですが、その様子はありません。

 野良猫が来るようになって、店に居着きます。店もそれなりに繁盛します。しかし、ある時から猫は来なくなって、蛇が姿を見せるようになります。神田が来て、店をしばらく閉めて、どっか遠くへ行くように言います。ヤクザっぽいお客が、なにかよくないことをたくらんでしたのでしょうか?この辺からよく分からなくなります。ヤクザっぽい二人とバーの経営になにか関係があるのかもしれません。とにかく、木野は神田が言ってたとおり、店を閉めて、逃げるような旅に出ます。神田が指示したとおり、絵葉書を出しますが、自分の存在が消えてしまいそうになって、文面を書いた絵葉書を送ります。

 作者は、何を言いたかったのか?多分ですが、妻が同僚と浮気をしていたとしても、それが二人の生活を分けてしまう原因になる得るのか?後半で妻がわびているので、許すことが出来なかったのか?許せることによって、失わないで済んだことも有ったのではないか?と、言いたかったと思いますが…。あくまで物語の感想です。自分のことではありませんので。(笑)

 この木野では、「両義的」という言葉が出てきます。少し調べると、やや哲学的な意味を持っているようです。木野がヤクザみたい男の女性と、一夜をともにするのですが、その後の心境が書かれています。

 以下引用。

 木野は彼女が雨の夜に一人きりで店にやって来ることを恐れ、同時に心の奥でそれを密かに求めてもいた。

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